通過儀礼~おひとり様の介護離職~ 第8回 帰ってきた故郷の「老い」

  2018/3/18
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高齢者の自動車事故が多くみられるようになりました。親戚の叔父も、運転免許証を返上したら警察で拍手喝采を浴びたそうです。身体的な能力が衰えるため、仕方がない事かもしれませんが、そこで浮上するのが「買い物難民」という問題です。地方では近所の商店が軒並み閉店。車の運転ができない高齢者は、どうやって生活すればいいのでしょう。そして郊外のスーパーも閉店になるケースも目立ちます。たかが買い物がこれほど問題になる世の中。日本はどこかで間違えてしまったのかもしれません。

第8回 20年ぶりの故郷

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友人からのライン。「ガンが見つかって今度入院しなくちゃいけなくなった」。病気とか入院とか他人ごとと思っていたけど、身近な人たちの話を聞いて不安になる。今は健康で働いているけど、もし何かあったら・・・?
もう一つ、気になるのは年老いた親。最近は階段の昇り降りがつらいらしい。親の介護が必要になったら、面倒を見るのは多分、娘の私になるだろう。「すぐそこに迫る医療や介護の知識を正しく知る」ためのジャンルです。

老いた故郷

望む治療法も見つかり、周辺症状を100%コントロールできたわけではありませんでしたが、興奮が激しい時に落ち着かせる薬を適量使用することで、なんとか家族のストレスも最小限にとどめることができていました。


介護が一段落すると、周囲を見渡す余裕も生まれました。今までは盆暮れ正月しか実家に帰っておらず、30代後半になるとさすがにそれではまずい、と思い、連休にはなるべく帰郷するようにしていましたが、1か月、2カ月と時間が経つにつれ、田舎の生活を冷静に見つめるようになりました。そこには、盆暮れ正月だけの短く限定的な帰省では見えてこない風景がありました。


実家は飲食店を経営していたのですが、父の病気のため閉店。こんな形で店が終わるとは思ってもいませんでしたが、自分が育ち、手伝っていた店があっけなく終わる寂しさは、寂寥感、喪失感が混在した、何やらズシンと心にのしかかる、「これでいいのか」と責め立ててくるような感情でした。


実家を継がず、好き勝手な仕事をしてきた自分がなんとも申し訳なく、その罪滅ぼしに介護に没頭したようなところもあります。かといって実家を継いでいても、日本中どこでも同様ですが、商圏は町中から、町内をよけて開通した国道のロードサイドに移り、コンビニやチェーン店にかつてのお客は奪われています。日本中どこでも見られる風景ですが、まさに、過疎化・高齢化を目の当たりにし、「日本が老いている」のを肌で感じた毎日でした。東京から1時間程度の通勤圏にある街ならそこまで感じることはないかもしれませんが、それ以上の時間を要する地域では、地域の「老い」は深刻です。

「車がなければ生活できないなんて、街じゃない」。

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通過儀礼~おひとり様の介護離職~
第8回 帰ってきた故郷の「老い」
「商店街がすたれ、郊外スーパーばかりだな。お袋さんはどうやって買い物に行くんだ?」

「宅配サービスとかネット注文があるでしょう」

「彼女がパソコンを使うと思うか? 携帯電話もない様子だった」

「一件便利なサービスはたくさんあるが、それはインフラが整っている都会の話だ。彼女は典型的な買い物難民だよ」。

「車がなければ生活できないなんて、街じゃない」。


当時読んだ小説『震える牛』(相場英雄著)の主人公のセリフです。まるで自分の町のことを書いているようで、作品の内容以上に印象に残ったシーンでした。

介護離職中、私は一日中家にいました。

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通過儀礼~おひとり様の介護離職~
第8回 帰ってきた故郷の「老い」
介護離職中、私は一日中家にいました。午前中は父は静かでしたが、午後2時を過ぎると不思議と興奮が始まり、夕方6時を過ぎると治まります。夜は静かでしたので、睡眠という面では家族は困ることはありませんでした。そんな中、2日に一回、父と母を車に乗せスーパーに買い物に行くのが日課でした。昔は近所に魚屋さんや酒屋さん、お菓子屋さん、雑貨屋さんもあったのですが、高齢化によって軒並み閉店。地域の住民は車がなければ買い物にも行けない典型的な“買い物難民”でした。母だけを降ろし、その間父と町内を回り、時間を潰していました。この時が母が一人になれる時間帯でした。


車で町内を走っているうちに、父は「あれ? この店は潰れたのか」「ここの家がなくなってる!」と、まるで浦島太郎のように町の変化に驚いていました。もちろん自分の記憶がおかしくなったこともあるかと思いますが、自分が育った町の変化に、寂しさを感じているようにも見えました。


そんな毎日の買い物でしたが、夏よりも、日が早く暮れる冬の方が安心して買い物に行けました。暗くなれば顔を見られるリスクが減ります。父の病気と、私自身が実家に戻っているのは隠しておりましたので、知り合いに会って「あれ? 帰ってきたの?」と勘繰られれば、たちまち噂が広がります。人目を気にして、まるで逃亡犯のように身の縮むような感覚が常にありました。


しかしながら、家に閉じこもってばかりいては、体がなまってしまいます。運動不足解消のために行ったのは、日が暮れてからのウォーキングでした。顔が判別されないよう日暮れを待ち、大通り以外は車の通りどころか人っ子一人いない道を、私は毎日一時間ほど黙々と歩いていました。

故郷に対する感情が芽生えてきました。

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通過儀礼~おひとり様の介護離職~
第8回 帰ってきた故郷の「老い」
けんか別れした友達の家の前や、好きだった女の子の家の前を歩くうちに、あの時謝っておけばよかった、あの子は誰と結婚したのかなという、もう何年も会っていない中学の同級生に思いを馳せるようになりました。散歩の時に使っていた古いipodは、福山雅治さんの「18 ~eighteen~」がヘビロテでした。


とにかく介護中は時間が止まっているので、人生が進んで新しい情報が入ってくることがありません。そのため、どうしても過去の出来事に思考が行ってしまいます。中学の校舎を見つめながら、野球部の部活動で先輩が怖かったこと、3年生の最後の大会で背番号がもらえなかったこと、校則の坊主頭が嫌で、「中学生になって」という入学早々の作文課題で「校則」について問題提起したことなど、走馬灯のように思いだしました。


しかし、この時期は、今となっては非常に豊潤な時間だったと思います。本来なら40代前半は働き盛りであり、子育ての真っ最中。忙しい毎日で、とてもこれまでの人生を何の妨げなく見つめ直す機会など持てないはずです。


三つ子の魂百までといいますが、人格の形成は、良くも悪くも少年期までに行われます。自分を育ててくれた町の惨状を目の当たりにし、あれほど嫌だった田舎が、今や命が風前の灯になっていると感じると、今まで感じたことのない、故郷に対する感情が芽生えてきました。


「介護が終わったら、町のために何かしよう」


自然と沸き上がった、偽りのない気持ちでした。

教訓

・高齢化=町が老いる=日本が老いること

・介護離職したからこそ得られる時間もある

・介護離職が残りの人生の使い方を考える時間を与えてくれた
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