通過儀礼 ~おひとり様の介護離職~ 第3回 昭和の仕組みからこぼれてみた

作者: ヒメノワ
  2018/1/12

40歳を超えると時間のたつのが早いもの。人生の折り返し地点はとっくに過ぎておりますので、「通過儀礼」の連載を機に、人生の棚卸をしております。
過去の封印していた経験に向き合うのは、魂の浄化(!)に繋がる作業ですね。
皆さんもカギをかけたまま熟成させっぱなしの自分のタブーと向き合ってみてはいかがでしょうか。スーパーサイヤ人になったような、ある種の覚醒が体験できるかもしれません(笑)。

昭和の仕組みからこぼれてみた

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友人からのライン。「ガンが見つかって今度入院しなくちゃいけなくなった」。病気とか入院とか他人ごとと思っていたけど、身近な人たちの話を聞いて不安になる。今は健康で働いているけど、もし何かあったら・・・?
もう一つ、気になるのは年老いた親。最近は階段の昇り降りがつらいらしい。親の介護が必要になったら、面倒を見るのは多分、娘の私になるだろう。「すぐそこに迫る医療や介護の知識を正しく知る」ためのジャンルです。
さて、夏に実家に戻ることを決意したものの、実際に引っ越しを行ったのは師走の真っただ中でした。
会社を辞め、父の回復に一縷の望みをかけ、アルバイトで食いつないでいましたが、病状は一向によくならず、いよいよ年貢の納め時が来たと、観念しました。
これで俺のキャリアも人生もオシマイだ、あんな田舎で何ができる、これから何を希望に生きていくんだ…。そして、もっと遊んでおけばよかった、旅行も行っておけばよかった…など、いざ都会を離れることになると、さまざまな思いが頭を駆け巡ります。あんなに嫌だった田舎暮らし、(浪人してまで)大学進学を機に出たかった村社会での生活に失望しつつ、未練を振り切るようにアパート管理会社に電話したのを覚えています。
 

管理会社の「お引越しの理由は?」の質問に「親が病気になりまして・・・」と、何か優しい言葉でも一声かけてくれれば救われるのにな、と淡い期待を抱くものの、「あ、そうですか」と極めて事務的な対応。


以降、引っ越し業者や市役所等、何度も同じ質問を聞かされるのですが、答えるたびにこちらの期待は裏切られます。
そうです。世の中は私が親の介護で田舎に帰ろうが、知ったことではないのです。
絶望に打ちひしがれようが、後悔しまくろうが、周囲は事務的に対応するだけ。
実家を出て以来20年分の荷物を整理しつつ、当たり前の事実に打ちのめされたのでありました。しかしこれが、介護離職者に襲い掛かる見えない刃の序章だったのでした。

おお、やはり持つべきものは友!

概ね準備が整ってきたので、今度は友人関係に挨拶です。
実はかくかくしかじかで…と、メールやLINEで友人たちに実家に戻る旨を伝えました。
その中で、学生時代の友人から「じゃあみんなで集まろうよ。声かけておくから」と温かいお言葉が。
おお、やはり持つべきものは友! これから都落ちする私には、何よりも心に染みた言葉でした。

しかし! 実際に行ってみると想像を絶する状況が待っていたのでした。


久々に集まる皆の前で事情を説明し、実家に戻る旨を伝え、「えー! 大変だね、頑張ってね」「連絡するよ」「大丈夫だよ」等の優しいリアクションを期待していたのですが、意外に反応はゼロ。
その代わりに、哀れみと好奇心の混ざった視線が私を襲うのでした。
その目がこう物語るのです。「コイツは終わったな」と。そして最後に彼らは、「うちの親は大丈夫かな」という表情で考え込んでしまいます。
まるでお通夜のような集まりで、結局、期待していた私への励ましの言葉などはありませんでした。


まあ、逆の立場ならそう思うか、もう学生じゃないんだし、淡い期待をした自分がアホだったんだと、恥かしさと情けなさで、その後の時間は針の筵でした。
しかし、これは友人が悪いわけではありません。介護に向き合うことになった人間の心境など、体験してみなければ分からないのですから。

極めて脆弱なセーフティーネット

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通過儀礼 ~おひとり様の介護離職~ 第3回 昭和の仕組みからこぼれてみた
後に気づいたのですが、これまで機能していた社会の仕組み、いわば「昭和のOS(オペレーションシステム)」からこぼれた者には、この国は極めて冷淡です。
介護離職の他には、シングルマザー、ロスジェネ世代のフリーター等、「正社員という身分」になり損ねた人間、そこから脱落した人間には、セーフティーネットが極めて脆弱です。
サラリーマンというのはある種の階級で、大企業の正社員を頂点とした身分制度が日本には存在していたのです。

そこからこぼれ落ちてしまうと、身分制度の恩恵たる厚生年金や雇用保険、失業保険などの特典は外され、二等市民に格下げされ文字通り丸裸になってしまうのです。
これは、戦後の日本が「分厚い中間層」を作るため、「起業」ではなく、税の徴収がしやすいサラリーマンになることを奨励していたのではないかと思えるくらいの厚遇ぶりです。


なるほど、そういうことかと、妙な納得をしましたが、これは介護を経験してみないと(社会の仕組みからこぼれてしまわないと)気が付かないことでした。


そんな丸腰で身ぐるみはがれた人間には、通常では気にならなかった何気ない一言一言が引っ掛かります。

「うちの親もボケるかも~」
「? ボケ? 実際に認知症の患者を見てみろ。ボケるどころかむしろセンシティブになってるぞ。現状を知らないくせにたやすくボケなんて言葉使うな(#゚Д゚)ゴルァ!!」
といった具合に、日常で使う単語までがいちいちカンにさわります。
親を連れて病院に行けば、待合室では他の患者さんの視線が痛く、何故か恥ずかしさも感じてしまいます。
それらの体験が刃のごとく皮膚を切り刻んでいくのです。それも深手の致命傷でなく、かすり傷やミミズ腫れがいくつもいくつもできるような、嬲られるような痛みです。
これも介護あるあるですが、通常の生活を送る人が眩しく、自分をより惨めにしていくので、介護者は自然と彼らを避け、痛みを最小限にすべく周囲との接点を避け、社会的に孤立していきます。
介護が辛いというのも、こんなところにも理由があるのかもしれません。

個人事業主として働く私の原動力

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通過儀礼 ~おひとり様の介護離職~ 第3回 昭和の仕組みからこぼれてみた
さて、失望の中帰路に就いた私は、文字通り「孤立」を実感しました。
しかしながら、現実は残酷なくらい変わらず、とうとう引っ越しの日が来るのでした。
ですがこの時点では都会に自分の居場所がないことを思い知り、生活圏である東京を出ることに何の未練もなく、むしろ逃げるように東京を後にしたのでした。
人間、丸裸=自分を覆うものが無くなると、見栄やプライドのようなものは吹き飛んでしまうようです。
誰しも地位や肩書、著名な帰属集団があって、はじめて人前に出て社会に参画できる気になるのではないでしょうか。
引きこもりが社会問題になっていますが、彼らは若い時に自分をプロテクトするものを作り損ねたのだと思います。

後に実家での生活を開始した後、用事で東京に来ることもありました。
八重洲の高速バスターミナルでバスを待っていると、帰宅途中のサラリーマンたちの人波に出くわします。
彼らを見ながら、「お前ら、仕事があることを当たり前だと思うなよ」「組織の看板がなければ何もできないクセに」「既得権にしがみついている奴ら、今に見てろよ」と腹の中で毒づいていました。

今にして思えば、僻み・妬み・嫉みに他ならないのですが、当時社会に対して感じていたことは、現在個人事業主として働く私の原動力になっている気がします。

■教訓

・介護離職者は無防備、丸裸で、アキラ100%状態。
・所詮、介護はヒトゴト、タニンゴト。
・昭和のOSが機能している以上、会社は(なるべく)辞めない方がよい。
・OSのアップデートは、既得権にいる側が拒んでいる。
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